友子衆橋
「友子」とは女性の名前ではありません。
本来は徳川時代の大工や石工などの同職組織として発展したようです。
時代の流れで「友子」制度は衰退していったようですが、
鉱山においては逆に発展していきました。
鉱山の近代化の中で新たな「労資関係」として重要な位置づけにあったようです。
とすると、ここは鉱山で働く労働者が集う?寄合所だったのかなと想像しています。

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